1300年の歴史を持つ葛井寺。

葛井寺の千手観音坐像(十一面千手千眼観音菩薩)の調査

1990年夏、藤井寺市史の編集の一貫として、大阪市立美術館館長の神山登氏を中心にご本尊の調査が行われた。美術館に勤めた1年目に、国宝の、しかも奈良時代の乾漆像の調査に参加できるとは思ってもいなかった。美術館からは石川知彦、朝賀浩、藤岡が参加し、その他に西川杏太郎先生(奈良国立博物館館長)、松島健氏(文化庁)が参加され、君島利彦氏が大判フィルムによる写真、松浦正昭氏(奈良国立博物館)がX線透過写真の撮影を行った。2日間にわたる調査だったが、2日目の晩であったか、ご住職ともどもお寺近くのお寿司屋さんに食事に行き、ついに終電を逃してお寺に泊めていただいたことをよく憶えている。

調査の後、参加者のノートや写真を参考にさせていただき、調書を完成させる仕事を神山館長から仰せつかった。1993年に刊行された『藤井寺市史』10巻(美術工芸・金石文・社寺建築)に載るご本尊についての詳細な解説はその調書に基づくものである。

1994年春、葛井寺に久々に訪れた。ちょうど大相撲大阪場所の開幕を控えた時期で、当時は大鵬部屋の宿所となっていたので、ついでにちゃんこのご相伴に与り、大鵬親方とも親しくお話をさせていただいた。その時、葛井寺を訪れたのは、江戸時代の厨子に安置されている国宝のご本尊を罹災から守るため、厨子のなかに耐火式の厨子を仕込み、二重の厨子とする工事を行うため、一時的にご本尊を美術館でお預かりするというお話をうかがうとともに、こちらからはその間にご本尊を公開させていただく機会をいただきたいとお願いするためであった。

同年夏、いよいよご本尊をお預かりし、秋には再調査を実施した。藤井寺市史の調査はお堂の裏の狭い場所での調査だったが、美術館では北館1階の展示室を使い、西川新次先生、水野敬三郎先生、そして東京芸術大学の彫刻史の先輩方に、皆さん手弁当で勢揃いいただき(熊田由美子、浅井和春、副島弘道、山本勉、岡田健、武笠朗、松田誠一郎、和田圭子)、3日間をかけて調査、写真撮影を行った。この時、撮影をお願いしたのは三原昇氏であった。

1995年1月、阪神淡路大震災が起こった。早朝、激しい揺れとともに飛び起きた。幸い家族は無事であったが、食器が少し床に散乱し、書斎の書棚が歪んで倒れかかっていた。そして、すぐさま美術館に連絡をいれ、守衛さんに葛井寺ご本尊の安否の確認をお願いした。家を出たのは7時前、今から思えば不思議なことにまだ京阪電車は動いていて、天満橋までたどり着いたが、地下鉄は運休しており、バスで天王寺に向かった。美術館には館員では一番乗りだった。すぐにご本尊の無事をこの目で確かめ、間もなく来られた守屋雅史先輩と2人で館内の点検を行った。震災のすさまじさを知ったのはその後のことだった。

ご本尊を公開させていただく「国宝 葛井寺千手観音」展は4月から5月にかけて開催された。カタログにはあらためてご本尊の調査報告を載せさせていただき、カタログと紀要をあわせたような内容とさせていただいた。





聖武天皇勅願寺 西国五番札所

紫雲山 葛井寺

〒583-0024 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21