半跏思惟像はどこで作られたか?

妙傳寺の半半跏思惟像(伝如意輪観音菩薩)の調査

妙傳寺に初めて訪れたのは、科研で「科学的調査に基づく半跏思惟像の日韓共同研究」に取り組んでいた2011年の3月だった。京都市文化財保護課の安井政恵さんからご本尊が半跏思惟像ということを教えていただき、院生だった三田覚之さんがそれに関心をもち、お寺に調査のお願いをしてくれた。私自身は、何はともあれ半跏思惟像は調査しなければ、とさほど期待もせずに調査にお邪魔した。

ところが、お厨子から取り出して拝見すると、驚くべき像であった。八瀬にある妙傳寺は、近在に伝来した平安時代の重要文化財の仏像(京都国立博物館寄託)を所蔵し、それまでにも少なからず研究者が来訪し、ご本尊の存在も確認されてはいたようだが、まったく注目されることはなかった。しかし、間近に拝見した第一印象としては、鎌倉時代の模古的な作例ではないかと思われた。
この当時、半跏思惟像研究では、蛍光X線分析の重要性に気づき、データの集積を目指しているところであった。阪大にはまだ計測機器がなく、韓国国立中央博物館の閔丙贊、朴鶴洙両氏とともに妙傳寺像の分析を行ったのは同年9月の調査であった。ただ、この時点では、データの集積が不十分で、分析結果を解釈する用意はなかった。

2011年11月、奈良県新公会堂で開催したシンポジウム「半跏思惟像はどこで作られたか?」において、初めて妙傳寺像のご紹介をした。ただし、この時には、最初の調査の印象のままに鎌倉時代の模古作であろうという所見を述べた。自分自身では大方の賛同が得られるものと思っていたが、シンポジウムに参加してくださっていた畏友の山岸公基さんから「藤岡さん、妙傳寺像はそんなものではないと思います」と指摘され、その後しばらく、そのことがずっと頭に引っかかっていた。

半跏思惟像の科研は2012年度が最終年だったが、さらに研究を継続するべく、2013年度からは新たに「5~9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」を開始した。そして次第に、金銅仏の青銅成分には地域によって一定の傾向があることがわかってきた。また、それに照らすならば、妙傳寺像は日本ではなく朝鮮半島の作例とみなすべきだと考えを改めるようになり、山岸さんからの一言のつかえもとれていった。

折しも2015年、『美術フォーラム21』の「グローバリズムの方法論と日本美術史研究―一国主義と受容研究を超えて」という特集号に寄稿を求められ、妙傳寺像をあらためて紹介することにした。しかも、同年秋には、科研の成果のアウトリーチ活動の一環として、大阪大学総合学術博物館において「金銅仏きらきらし」展を開催することになっていたため、思い切って妙傳寺像のご出陳をお願いした。こうして、論文と展覧会を通じて、少なくとも研究者には妙傳寺像のことを知っていただくことができ、また、妙傳寺の関係者の方々にもその価値を理解していただくことができたのは幸いであった。

以降、妙傳寺では、ご本尊を末永くお守りするため、新しく模刻像を作ってご本尊とされ、もとのお像は博物館に寄託されることになった。2017年正月、新聞やテレビで妙傳寺像のことが報道されたのは、模刻像が完成し、もとのご本尊の安全が確保できてからであった。模刻像の制作にもお手伝いさせていただいたが、関係者の皆さまにお喜びいただけたことは何よりであった。