なんでも、かんでも「アオハル」の時代

1978年

2年生では文化祭りの実行委員に。やっぱりお祭り好き?高校にあがる頃から理系よりも文系に関心が移る。刑事物や学園物のテレビドラマの影響で、法曽界や教育制度に興味をもち、PHP新書を読んで憲法問題などを勉強。2年生の夏、東大見学を兼ねて、友人と2人で富士山に登る。出発は富士吉田市の民宿。1、2年生とも美術を選択。亜鉛板ながらエッチングでの版画制作が課題。1年かけて1枚なので、最初の半年はお寺に行ってぼーっと過ごすことも。
2年生の頃から、思い悩むこと多し。思春期だったに違いない。偽善、純粋、無垢といった言葉がやたら気になる。中原中也の詩集、阿部次郎の『三太郎の日記』、西田幾多郎の『善の研究』などにはまる。結果、美学に関心をもつようになり、中井正一、今道友信などを手にとることに。キュクラデス諸島の石像の展覧会をみて心奪われ、速水御舟の展覧会で顔料の美しさに感動。ただ、大学受験に嫌気がさし、パティシエを目指したいと思ったことも。

1981年

1月:共通一次試験にのぞむも、おそらく気負いすぎにより大失敗。計780点ほどだったかと。目指していた東大文三は足切りにかかる恐れがあり、浪人を覚悟。担任の先生から、どこか他の受験先を考えるようにと言われ、筑波大の芸術学群を薦められるも、まったく気が進まず。受験案内をめくっていると、東大の少し前にあった東京藝術大学が目にとまる。そこに「芸術学科」「美学」の文字が。ここなら、と前向きな気持ちに。急遽、美術室に通ってデッサンのトレーニングを受ける。ただ、とても受かるとは思えず、なおも浪人して東大と思っていた。ところが、受験時に見た油画棟の石膏室に圧倒され、ここに来てみたいという気持ちが募る。幸いにも合格し、父と美術の先生の反対を押し切って、いざ東京へ。