自分より偉くなる「学生」と「仏像」に囲まれる日々

1998年

4月:大阪大学文学研究科より転任の打診。水野先生に相談したところ「美術館もいいけど、大学も面白いよ。君みたいな学生もいるから。自分より偉くなるな」と。転任を決心。
7月:大阪大学文学研究科教授会において人事案が承認され、川北稔研究科長、肥塚隆教授が大阪市立美術館に割愛に来られる。蓑館長から事前に話がなかったと怒られる。

1999年

3月:9年間通った大阪市立美術館に別れを告げる。
4月:大阪大学文学研究科に赴任。日本彫刻史と中国彫刻史の授業の準備に追われる日々。赴任1年目ながら、11月に千里阪急ホテルを会場として開催された懐徳堂記念会創立90年記念「大阪大学文学部所蔵資料展[懐徳堂関係資料を中心に]」を担当。『新修豊中市史 第6巻 美術』の編集委員となり、豊中市内の寺社文化財調査を開始。
10月:大阪市立美術館で特別展『役行者と修験道の世界』開催。在職中は同展副担当であったため、阪大転任後の開催ながらカタログを分担執筆。

2000年

2月:次男誕生。
3月:陝西省歴史博物館において開催された唐墓壁画に関するシンポジウムに参加。初めて国際シンポジウムに参加し、大学教員になったことを実感。

2001年

4月:島田明助手が海外特別研究員として渡英。助手の仕事も担うことに。奥平俊六教授から「助教授助手」と呼ばれる。

2002年

2月:「大和を歩く会」に初参加。第78回は東大寺山堺四至図をめぐる企画で、約40㎞におよぶ行程に疲弊したものの、春日山の石仏、なかでも芳山の石仏に感激。奈良時代の仏像と統一新羅の仏像との関係に関心がわく。
4月:肥塚隆教授を研究代表者とする基盤研究(A)「東南アジア彫刻史における<インド化>の再検討」が採択され、2005年度までの4ヵ年、課題遂行を実質的に担うことに。アンコールワット展以来5年ぶりに東南アジア彫刻の調査研究を再開。個人の科研は不採択が続く。

2004年

4月:初めて代表者として科研、基盤研究(C)「隋時代彫刻における紀年銘作品の研究」が採択。アメリカ、山東省の隋時代彫刻の調査。さらに14年ぶりに韓国へ。韓国調査で閔丙贊氏と再会したことが、その後の金銅仏研究のきっかけとなった。しかし、研究報告書の作成が難航し、最終的に完成したのは2年間の研究期間終了後5年を経た2011年であった。この頃は、調査は精力的に行いながらも、なかなか論文が書けず、スランプを実感。

2005年

4月:5ヵ年にわたる特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成-寧波を焦点とする学際的創生-(通称にんぷろ)」が始まる。井手誠之輔氏を代表とする絵画班に彫刻担当として参加。このプロジェクトが、中国・南朝造像について考えるきっかけになった。
12月:『新修豊中市史 第6巻 美術』刊行。

2006年

4月:基盤研究(C)「仏教美術における絵画と彫刻」が採択。絵画と彫刻を横断的に研究する試みで、自身では日本の仏像と図像との関わりを中心に考察を進めた。最終年度末に報告書を刊行。

2008年

4月:日本学術振興会外国人招へい研究員として韓国国立中央博物館の閔丙贊氏を招へい。研究課題は「広隆寺半跏思惟像の研究」。

2009年

4月:教授に昇任。
4月:基盤研究(A)「科学的調査に基づく半跏思惟像の日韓共同研究」が採択される。韓国国立中央博物館との共同研究を開始。当初はX線透過撮影や3次元計測、マイクロスコープによる観察に重点をおいていたが、2年目からは重点を蛍光X線分析にシフトし、調査活動を継続。

2011年

2月:日本学術振興会外国人招へい研究員として韓国国立中央博物館の權江美氏を招へい。研究課題は「東アジアにおける四天王像の比較研究」。
11月:奈良県新公会堂において、国際シンポジウム「半跏思惟像はどこで作られたか?」を開催。約60名が参加。

2012年

7月:ニュルンベルクで開催された国際美術史学会(CIHA)に参加。初めての英語での発表。

2013年

4月:半跏思惟像研究を発展させた基盤研究(A)「5~9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」が採択される。

2015年

9月:大阪大学研究推進室の一員として大阪大学副理事に就任(~2019年8月)。データビリティフロンティア機構の設置に向け、データ駆動型の人文学研究を模索。
10月:大阪大学総合学術博物館において企画展「金銅仏きらきらし」を開催。5030名の来場者。妙傳寺半跏思惟像の展示が話題に。
12月:大阪大学Σホールにおいて、国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」を開催。約150名が参加。

2016年

6月:飛鳥大仏を調査。その結果、面部の大半、肉髻の大半、地髪の一部が当初とみられること、体部は鎌倉初期の火災後の復興とみられること、右手のみ金属組成が異なることなどが判明。2017年7月に『鹿苑雑集』で成果報告。その後、複数の新聞で報道される。

2017年

1月:妙傳寺半跏思惟像の模像が完成し、お披露目。妙傳寺像が新発見の朝鮮・三国時代の作例としてテレビや新聞で大きく取りあげられる。
6月:毎日新聞社創刊の『佛敎藝術』が休刊となったことを受け、継続誌の刊行をめざして仏教芸術学会を設立。有賀祥隆代表、浅井和春事務局長のもと、創刊号の編集担当となる。
12月:閔丙贊氏との共同監修により、韓国国立中央博物館から『日韓金銅半跏思惟像-科学的調査に基づく研究報告-』を刊行。金銅仏について、制作地や時代によって青銅成分に一定の傾向がある可能性を指摘し、いくつかの作例について具体的に制作地、時代について新見解を提示。韓国ではメディアに大きく取りあげられる。

2018年

3月:興福寺中金堂四天王が南円堂四天王として国宝指定を受ける。
4月:基盤研究(A)「3次元データに基づく人工知能による仏顔の様式研究」が採択される。
9月:『仏教芸術』創刊号刊行。法隆寺金堂壁画に関する座談会記事を掲載。
12月:薬師寺金堂本尊、東院堂聖観音の3次元計測、蛍光X線分析調査を実施。
12月:仏教芸術学会の初代会長に選出される。

2019年

5月:日本学術振興会外国人招へい研究員として韓国国立中央博物館の金惠瑗氏を招へい。研究課題は「大谷探検隊と大谷コレクション西域美術に関する統合的研究」。
8月:興福寺東金堂脇侍像、仏頭の調査を実施。
11月:仏教芸術学会、科研等の共催により、平城薬師寺をめぐるシンポジウム―「伽藍を移す」ことの意味を考える―を奈良国立博物館で開催。